いい連鎖は、誰がスタートでもいい
こんにちは。ホステス専門コンサルタントの秋好玲那です。→目次はこちら^^
若いころの私は
全然仕事が楽しくなかったので、
ムスッとしていることのほうが多い
ホステスでした。
だから、お客様からも
評判はよくありませんでした。
「いつもツンケンした女」
これが、当時の私を表す代名詞でした。
でも、だんだんと笑顔でいることが
あたりまえになってきました。
自分が客側になったときにも、
お店の方に笑顔で接するように
なりました。
少々重い話ですが、
私がよく笑うようになったきっかけを
お話しさせてください。
京都で目にした光景から感じたこと
実は私、たった一度だけ、本気で
『死のう』と思ったことがあります。
20歳の11月。
16歳で自立し、生きるためだけに毎日
朝から晩まで働いて、何のために自分が
存在するのか、何を目的に生きていけば
いいのか、わからなくなりました。
それ以上に、
生きることに疲れ果ててしまいました。
仕事を辞め、持ち物を全部処分し、
住んでいたマンションを引き払い、
身ひとつで京都へ行きました。
京都の知恩院は、
最愛の祖父の納骨先。
最後に祖父に会ってから死のう、
と思ったのです。
お参りを終えて、
知恩院の公園で行き交う人々や、
そこで働いている人たちの姿を
ボーッと眺めていました。
最初は、
- どうしてこの人たちは楽しそうなんだろう
- 私はこんなにしんどい人生なのに
- いま目の前に散弾銃があったらぶっ放してやりたい
と思いながら見ていました。
でもずっと見ているうちに、だんだんと
心境が変わっていったんです。
もしかしたら、観光しながら笑っている
人たちの中にも、私みたいな人生を
歩いてきた人がいるかもしれない。
ひょっとしたら、店先で笑っている
あの人は、パートナーから殴られたり
罵られたりしているかもしれない。
いま目の前で笑っているからといって、
必ずしもみんなが幸せな人生、充実した
毎日を送っているとは限らないのでは?
そう考えると、
苦しいのは私だけじゃないんだな・・・と
表現しがたい気持ちになりました。
もしあのとき京都へ行かなかったら、
私は死んでたんじゃないかな、
と思います。
いまでも悔やまれるお客様の死
京都から戻った私は、
少しずつではありますが、
自然と笑うことが増えていきました。
もちろん最初は笑顔を作れなかったり、
嫌なことがあるとすぐに顔に出たりと、
うまくいかないこともありました。
京都から戻り、本気で仕事をしようと
動き始めた当初までの約4年間は、
意図的に笑顔を作っていたので、
ぎこちなかったのは事実です。
反省することは、たくさんありました。
そんな最中、
あるお客様が自死しました。
明るくてムードメーカーで、
誰にでも好かれる優しい人で、
いつも私を応援してくれていた人。
最後に会ったときも
いつもどおりの明るさと笑顔で、
「おまえ、がんばれよ。
応援してるからな!」
と言ってくれました。
私はその笑顔に励まされたのに、
彼はその笑顔の下で命を絶つほどの
苦しみを抱えていた・・・
それに気付けなかった自分を、
心の底から悔やみました。
自分も死のうとしたことがあるのに、
笑っているから幸せとは限らないと
京都で感じて帰ってきたのに、
何ひとつ生かせなかったことを。
いい連鎖は誰がスタートでもいい
それ以来、
私はよく笑うようになりました。
人と顔を合わせたら、
自然と笑顔が出るようになりました。
無理をしたり、笑顔をつくろうと
工夫したりしなくても、
反射的にニコッと笑う。
それがあたりまえになっていきました。
私が笑っていることで、
誰かがほっとしてくれたり、
心の重荷が軽くなったりするなら、
いくらでも笑おうと思えました。
私は、
たくさんの笑顔に助けられてきたから。
あなたもぜひ、
笑顔で過ごすことを心掛けてください。
「あの人が〇〇してくれない」
と、誰かに何かをしてもらうことを
待つのではなく、あなたから
笑顔を広げていってください。
いい連鎖は、
誰から始めてもいいのです。
毎日の中でつらく苦しいことがあって、
とても笑える心境ではない、という日も
当然にあると思います。
人間なので、笑えない日があるのは
あたりまえです。
そんなときは、ひとりで抱え込まず、
誰かに胸の内を話しましょう。
私でよければ、いつでも聴きます。
話すことで心が軽くなることは、
たくさんあります。
そうやってバランスを取りながら、
お客様にあたたかい笑顔を向けられる
素敵なホステスが増えてほしい。
それが私の願いです。
「本音を話せる人がいない・・・」
などのお悩みがありましたら、
遠慮なくご相談ください。
丁寧にヒアリングして
真剣に回答します。