人目が気になって仕方ない人の心理

こんにちは。ホステス専門コンサルタントの秋好玲那です。→目次はこちら^^
あなたは『人の目』を気にしますか?
昔の私は、自分では気にしていないつもりでしたが、いま改めて振り返ると、とても気にしていたと思います。
人の目を気にしなさすぎるのも問題ですが、気にしすぎて身動きが取れないのも問題ですよね。
コンサルでも「自分がどう思われるか」を悪い意味で気にしすぎて、行動を起こせないでいたホステスさんが多くいます。
そこで、今回はホステスという立場を一旦置いて、『他人の目が気になる私(人)』について。
あくまでも私の考えに過ぎませんが、「誰かがちょびっとラクになればいいかな?」くらいの気持ちの管理人のひとりごと記事です(笑)
この記事の目次
人の目が気になるのは経験の結果
人の目が気になって仕方ないという人は、
- 失敗が怖い
- 怒られたらどうしよう
- 嫌われたらどうしよう
- うまくいくか(できるか)不安
- 周りと違うことをして浮いちゃったらどうしよう
- それでもダメだったらどうしよう
など、さまざまな形で不安を抱え、悪い未来が実現化することを恐れて動けないわけです。
深層心理としては、『行動しない理由付けとして、不安を抱く』とも言われています。
では、なぜ『行動しない理由付けとして不安を抱く』のかというと、過去に、行動を起こして嫌な思いをしたことがあるからです。
育った環境で刷り込まれた価値観
たとえば、私の場合、何か自分が行動を起こすと、親に殴られていました。
親の言うとおりにしないと、殴られる。親の期待どおりの結果出ないと、殴られる。
たとえ、世間から見て『黒』に見えるものであったとしても、親が『白』と言えば『白』と言わなければ、骨が折れるほど殴られるのです。
そんな日々をくり返しているうちに、
- (親にとっての)失敗は許されない
- (親にとっての)完璧でなければならない
- (親にとっての)正しい答えでなければならない
・・・といったように、他人の物差しで物事を考える習慣がつきました。そしてそれは、親元を離れると、自然と他人にすり替わっていきました。
誰かにとっての『失敗』は許されない。誰かから見て私は『完璧』でなければならない。誰かにとっての『正しい答え』でなければならない・・・というように。
考えることを放棄する
そうやって『他人の物差し』で生きている最中は、なぜそんなに人の目を気にしているのか、自分ではわからないのです。
むしろ、昔の私のように、『人の目を気にしているなんて気づいてもいない』という人も多いでしょう。
では、なぜ「わからない・気付かない」ということになるのか。それは、考えることを放棄してしまったからです。
私を例に考えると、わかりやすいと思います。
自分で何かを考え、何か行動を起こすと、殴られる。だったら、考えてもムダじゃん、ロクなことないじゃん・・・となっても、おかしくないですよね。
たとえ間違っていようと、親の言うことを聞いているほうが、自分は安全なのだから。
ところが、社会に出ると、それが通用しなくなります。
子どものうちは、大人の言うことが絶対で、それに逆らうと嫌な思いをするから考えることをやめたのに、社会に出た途端、
「自分で考えて、自分で動け」
になる。特に、ホステス業は個人事業主で、だれかが手取り足取り仕事を教えてくれるわけではないので、なおさら『自分で考えて自分で動け』になります。
そうすると、大ピンチです。
自分で考えることができないし、人(私の場合は親)の支配下で生きてきて、自分の人生を生きたことがないから、わからない。
だからこそ、『自分が何かをして他人がどう思うのか』が異様に気になるのです。