自己肯定感とはどう作られるのか

こんにちは。ホステス専門コンサルタントの秋好玲那です。→目次はこちら^^
心理学では「自己肯定感」という言葉があります。そんなの存在しない、そんなの関係ないと言う人もいますが、MTSは心理学が軸なので、当サイトでは自己肯定感についても解説していきます。
売上や望む結果を手にできるかは、メンタルにかかっている。そうお伝えしてきたので、本格的にメンタルについてお話ししていきます。
マーケティング的なことも途中で挟みつつ進めますが、。まずはメンタルが重要これを忘れないようにしてください。自己肯定感が低いと、何をやってもうまくいきません。
メンタルについては「しつこい!」とクレームが来るほど書こうと思っています(笑)それくらい重要なことなのです。私があなたに望むことは、ストレスなく得たい結果を得ること。これに尽きます。
あなたも、必要だと思うところは丸暗記できるくらい何回も何十回も読んでください。
自己肯定感と自尊心
あなたは自己肯定感と自尊心の違いをご存知でしょうか。どちらも似たような感じがしますよね。辞書にはこうあります。
■自己肯定感
自分のあり方を積極的に評価できる感情、
自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する語。 自己否定の感情と対をなす感情とされる。
■自尊心
- 自分を優秀な者だと思う気持ち。尊大に構える心。プライド。
- 自分の品位を保とうとする心。プライド。
こうして見ると自尊心とはあまり良いものでないように見えます。
自尊心とは
『自己肯定感』という言葉は、臨床心理士である高垣忠一郎氏によって1994年に提唱されたものです。心理学では歴史が浅いものですが、没個性化が生じていた子どもの状態を説明する用語として誕生しました。


『自己肯定感』を簡単に言えば、
- ありのままの自分を受け入れられる
- 自分には価値があると思える
という感情のことです。たとえば何かミスをしても「次から気を付けよう」とすぐに立ち直れるなら、あなたは自己肯定感が高い状態と言えます。逆に、ミスをずっと引きずってしまうのであれば、自己肯定感が低いと言えます。


ここで重要なのは『無条件で』ということ。状況や環境にかかわらず、無条件でありのままの自分を受け入れられること、無条件で自分には価値があると思えること。これが『自己肯定感が高い』という状態です。
もしあなたが「仕事で結果を出せているから私には価値がある」「誰かの役に立てない自分は価値がない」などと思っているのであれば、それは『条件付きの自己肯定感』であり、自己肯定感が高いとは言えません。
ただし、自己肯定感は状況や環境によって上下するもので、必ずしも『低い=悪い』ではありません。たまたま低いときもあれば、たまたま高いときもあります。失恋したときなどは一時的に自己肯定感が下がったりします。
最大の問題は、自己肯定感が低い状態が長期化することです。子どものころからずっと自信がない、子どものころからずっと自分に価値があるとは思えない、などであれば、メンタルが不安定な状態が続いているはずです。
自尊心はもうひとつの心臓
自尊心と自己肯定感は違います。
たとえばあなたの自己肯定感が低くて「私は価値のない人間だ」とどれだけ思っていたとしても「あなたは本当に価値のない人間だな」と言われたら傷付きますよね。これは自尊心という絶対的なものがあるからだと思います。
もし「自尊心=自己肯定感」であるなら「あなたは本当に価値のない人間だな」と言われても何ら気にすることなく「そうなんですよ!」となるはずです。
つまり自尊心とは人間の尊厳、もうひとつの心臓のようなものだと思います。そしてこの自尊心を傷つけられるからこそ自己肯定感が下がるのです。
だからこそ自己肯定感がどんなに低くても「自分を好きになりたい」「自分に価値があると思いたい」と思い悩むのではないでしょうか。
自己肯定感はもう1人の自分
一方、自己肯定感とは、自分の中にもう1人の自分が存在します。自尊心を持つ自分を、もう1人の自分がジャッジする。だから「価値があると思いたい自分」と「価値がないとジャッジする自分」に苦しむのですね。
自己肯定感が低いとは、現実の自尊心を持つ自分に対し、もう1人の自分が理想を押し付け、批判する状態なのです。本来なら気にしなくても良いことなのに、もう1人の自分がこう言うのです。
- こんなこともできないなんて無能だな
- 本当におまえは価値がないな
こうした声は自分の中から生まれるのではなく、他者からの評価で造形されます。つまり自己肯定感とは、社会で作られるものなのです。あなたの心の中から生まれたものではない、ということですね。
まとめ
- 自尊心はもうひとつの心臓
- 自己肯定感はもう1人の自分
- 自己否定は他者の言葉から作られる
自己否定ばかりしている人は、それだけ他者から責められてきたということです。そしてその責めを受け取り、もう1人の自分として取り込み、それを基準に日々を生きている。これが「他人の人生を生きる」ということです。
他人の価値観を基準に自分をジャッジしていると、やりたくないことまでも「やりたい」と思ってしまうのです。
でも自尊心を持つ自分はやりたくないので行動ができない。そしてまた「もう1人の自分」が他人のものさしで自分を責める。これが自己否定の構造です。ストレスが蓄積するのは当然ですよね。
だからこそ私は常々「やりたくないならやりたくないと言え」と言っているわけです。たとえあなたがその言葉を受け取ってくれなくても、必要なアファメーションだからです。
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