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秋好玲那のヒストリー

秋好玲那のヒストリー

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こんにちは。
ホステス専門アドバイザー秋好玲那です。

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ここでは、私、REINAこと秋好玲那が社会に出るまでの人生をお伝えしています。

私にとってはすべて終わったことで、笑って話せる内容になっておりますが、読む人にとっては少々衝撃らしいので、ご注意ください。

※これでも大幅に省き、後々に関わる大きな出来事だけをピックアップしています(笑)

 

0歳~4歳|フツウだと思ってましたが、なかなかの異常でした。

▼ 【1歳】昭和の時代に孫連れ出勤

町で有名なほどオシャレだった母、ブティックの店員で頭角を現す。当時母子家庭は今ほどの支援体制がなく、朝から夜遅くまで働いていた。

社会経験のない祖母は、朝から晩まで働いている母を理解できず「きちがい」だの何だのと毎日罵り、母の娘である私の世話を拒否していた。

今でも議論になる子連れ出勤に負けず劣らず、昭和の時代に祖父は孫連れ出勤。だって、家に置いてても誰も面倒見ないし、下手すると死んじゃうからねw

▼ 【2歳】最古の記憶、熱湯風呂

アトピー性皮膚炎と蕁麻疹がひどかったため、痒みで泣き叫ぶこと多々。食べられないものが多く、家事嫌いな祖母のおかげでいつも湿疹だらけ。

あるとき痒みで泣いていると、母から大人も手をつけられない熱湯に押し込まれる。怪訝な顔で祖母が近寄り「体裁が悪い」と泣き叫ぶ私の口にタオルを詰め込む。

普段は壮絶不仲なのに、なぜかこういうときだけ結託する母と祖母。そこからダチョウ倶楽部の如く、熱湯風呂が定番に。

▼ 【3歳】レイプされたのか?

真向かいの家に住んでいた男子中学生にほぼ1年間、延々と性暴力を受ける。定かではないが、あらゆる状況や記憶の断片的に、挿入されたんだろうと思っている。

何をされてるかは明確に分かっていたが、誰にも言わなかった(すでに自分に起きたことは言わない習慣がついていた)。

祖父がキャバレーに連れて行ってくれた。妖艶で賢そうな女性がたくさんいて、煌びやかで華やかな世界とショーに惹き込まれた。

これを機に私がショーに興味をもち始めたらしく、祖父が劇団に入れてくれた。

参考「ホステスはスキルや見た目じゃない」を示してくれた最強の売れっ子

▼ 【4歳】異常行動と文化への関心

周りと自分の家庭との違いにだんだん気付き始める。大人がゾッとするほど、鋭い目つきをしていたらしい。

ヒマがあれば紙をひたすらはさみで切り刻む、様子のおかしな子だった。異様なほど絆創膏や包帯をしたがっていた(他人が構ってくれるから)。既に不眠症を発症。

母から滅多打ちに合い初骨折。真冬の積雪時に裸で庭に縛られ、体に積もっていく雪で幼心に死を覚悟する。顔面をドア枠角に打ちつけ鼻骨折、未だに鼻が若干曲がっている。

ジャズバンドに所属していた祖父の影響でジャズ、クラシック、オペラ、アメリカンポップスに興味を持ち、エド・サリバンショーにハマる。

民謡や日舞をやっていた祖母の影響で、着物に興味を持ち始める。

教養高い母の影響で絵画や文学に興味を持ち、百科事典や辞書を好み、美術館に行きたがる。

 

5歳~9歳|子どもですけども!?という事件が多発した時期(笑)

▼ 【5歳】母の子は死にました。・・・ん?

やたらと怪我が多く異常行動もあったため、保育園ではよく気にかけてもらった。

母をママとは呼んでいたが、母親という認識は皆無、あだ名のような感じ。

母の部屋には、1歳くらいの女の子の写真が大切そうに飾ってあった。写真を見ながら「この子は死んだ、可愛かったのに」とよく言っていた。

子どもを亡くしたんだな、気の毒に、と同情していたが、後にその写真が私だと知り、死んだことになってる!と驚愕する。

▼ 【6歳】大人は勝手ですなあ。

昭和の時代にレディガガ状態だった母は異常者扱い。親のことを再三言われたのにまだ母親だと思ってなかった。

あんな人に育てられてかわいそうに、と周りの大人が言うように。人生で初めて「私はかわいそうなのか?」と疑問を抱く。幼心に「かわいそう」という言葉に著しく不快感を抱いた。

表面的な言動と本心が違うんだということに気づき始める。嘘をつくな、と激ギレする大人達がお世辞や陰口を言う姿に大混乱するように。

「何をしたら怒られないか」より「何が真実なのか」を知りたがるようになる。周囲の大人達からは怪訝な顔をされ「不気味な子」と距離を置かれるようになる。

▼ 【7歳】アルコール禁止令発動

なぜか黙っていても目立ち、いじめられることもしょっちゅう。子どもなのにどこか達観した、異様に大人びた言動が多かった。

母は自分と同等の知識量と理解力を私に強要し、できないと夜通し殴られた。机に縛られ勉強、背後で常に母が見張り、答えが違うと正解するまで殴られる。

このトラウマで、今でも後に黙って立たれると思考が止まる。

神経性胃炎で搬送され医師に「子どもなのに」と驚かれる。全ての数値が人の半分以下、肝臓は極端に弱くアルコール分解できないと宣言され「絶対にお酒は飲まないように」と言われる。

▼ 【8歳】命は入れ替え制です。

飼っていた犬がある日突然、姿を消す。叔母が妊娠し出産で帰省するため、汚いから保健所にやったと祖母に言われる。

生まれてくる命のために犬の命が平然と抹消されることに、衝撃を受ける。

いつも庭に放り出されると寄り添ってくれた犬だったので、祖母に強い憎悪を抱いた。今でもこの犬の写真をデスクに飾っている。

やがて叔母が出産、祖母に「おまえはもう用なし、今日から犬小屋で暮らせ」と外に出される。

私も抹消されるに違いない、と真剣に考えた(これを書いた作文が全国で金賞を取るが、1ミクロンも嬉しくなかった)。

偶然にも雑誌で国宝級の地獄絵図特集を目にし、私はこの中にいる、と恐怖を抱く(未だ見れず)。

▼ 【9歳】飢えを凌ぐ策を練る小学生

祖父が国鉄を退職、関連旅行会社へ転職。添乗員として全国を飛び回るようになり、家を空けることが増えた。

祖父不在が続くと給食以外に食べるものがなくなり、飢えを凌ぐ術を考えるように。空腹で人生初の万引き、警察がドン引くほど血まみれになる。

殴られている最中に母の長い鋭利な爪が左目を命中、緊急手術。手術は目を開けていなければならず、壮絶な恐怖を味わう。

この影響で強い光に極端に弱くなり、通学もサングラス着用(今も欠かせず)。トラウマで未だにまつエクやコンタクトなど一切できず。

 

10~14歳|餓死しかけて売り飛ばされて散々ですw

▼ 【10歳】祖父他界、唯一の記憶

肺がんを患い、入院からわずか半年で他界。葬儀後の通学初日、向かいからこちらへ歩いてくる祖父と遭遇する。

たくさんの思い出があるはずなのに、実は祖父の姿はこの記憶しか残っていない。

深夜まで家には私以外誰もいない生活が始まる。食べ物がなく近所の畑から野菜を盗むように(おかげで今も野菜嫌い)。

熱したフライパンやオーブントースター、線香やろうそくで体を焼かれ始める。極寒の夜は裸で庭に縛られ、家の柱に縛られ、一晩中身動き取れないのも日常。

家に人がいるとろくな目に遭わないので、1人でいられることに安堵するように。

このころから物を捨てられることが増える。あるとき祖父の形見を捨てられ、言いようのない衝撃を受ける。

このときから物に執着がなくなり、大切にしなくなった。

形あるものはすべて、どんなに大切にしても、いつかなくなる。形のないもの、私の心や脳にあるものは誰にも奪われない。

幼心に学んだ教訓。

▼ 【11歳】殺し合いやら窃盗やら忙しい

母と祖母の険悪さピーク、殺し合いに発展することが増える。本気で家を出ないと私も殺される、と思うようになる。

生命危機を常に感じつつも「親子でこんなに憎み合えるものなんだな」と冷静に考える面もあった。

よく遊びに行って友人宅で、偶然書斎で現金を数えるおじさんの姿を目にし、お金があったら逃げられるんじゃないか、違う人生になるんじゃないか、と考える。

隙を見て50万ほど入った封筒を盗み、母にばれ殺されかける。その子はその後も変わらず接してくれ、中卒まで仲がよかった。ありがたい。

不思議なのは、盗んだお金の行方がまったく分からないこと。たぶん祖母が使い込んだんだろう、と母も私も思っている。

▼ 【12歳】餓死しかけたから働こう。

逃げ場を求め父の存在を探すように。戸籍謄本を取得したことが母にバレ、半狂乱で暴れる母の言葉で初めてDV野郎と知る。

前例がないほど叱責と暴力を受け、自宅に監禁され本当に餓死しかける。心配した校長が自宅に来て発覚、救助後病院直行。

年をごまかして喫茶店でバイトを始める。ここから食費や諸々の購入は全部自分で働いたお金で賄うように。

よく働くいい子と可愛がられたが、卒業時期に年齢がバレてクビになる。

▼ 【13歳】孫は売り飛ばしちゃえ♪

精肉店でバイトを始めるも、1ヶ月フル勤務で1万円しかもらえず。見かねた生活指導の先生に新聞配達の仕事を紹介してもらい、やっと生活安定。

祖母に5千万の借金が発覚、叔父と母が激ギレする。私を養育するためだ、あいつのせいだ!と祖母に言われ驚愕(実際は着物や宝石を買ってた)。

祖父の退職金や貯金、年金も使い潰し、浪費をやめられない祖母に母が怒り狂い、関係悪化。

祖母に違法風俗店へ売り飛ばされる。家出を繰り返すようになり、学校へも行かず。児童相談所に一時保護される。

虐待認定を受けたが、正直「・・・だからなに?」以外感想なし。2週間ほどで親元に帰される。

こんな最中に祖母は自主的に少年補導員になり、バカじゃないかと心底思っていた。これ以降、祖母は憎悪の対象でしかない。

▼ 【14歳】エロ担任以外はいい先生

担任にやたらとセクハラを受ける。セーラー服をミニスカートにしたら、担任が喜んで毎回スカートめくる、廊下で押し倒される、パンツに手をかけられる事態に。

母の暴力加速。遭遇を避け、夜は外で過ごすように。夜通し逃げるため、昼間は学校へ行かず自宅で寝て、母の休日だけ学校へ行く生活。

周囲の悪行で一緒に補導されることはあったが、何もしてないので少年課の刑事からはいつも「おまえ、染まらないなあ」とナゾの感心をされていた。

先生たちにも散々迷惑をかけたが、学年関係なく嬉しそうに声をかけてくれ、立ち止まっていろんな話をしてくれたし、聴いてくれた。

先生たちが毎日、通る必要のない私の家の前をわざわざ通って通勤してくれていたことも知ってる。

心配してくれてたんだな、と気づいたのは10年後。

 

15~16歳|人生を大きく変えた分岐点でした!

▼ 【15歳】母を殺す手段に悩む

母に2階のベランダから突き落とされ膝を負傷、入院。警察出動の大騒ぎに。少年課の刑事が母と壮絶なバトルを繰り広げる。

次は殺されるかも、その前に殺すべきかと真剣に悩む。家を出ないと母親をいつか殺すような気がして、一刻も早く大人になりたかった。

生活指導の先生が「自立の覚悟があるなら高校には行け」と、特待入学できる高校を探してくれた。長年続けてきた演劇で特待入学が決まる。

卒業式の日、生活指導の先生から「おまえには色々手がかかったけど、誰にも暴力を振るわなかった、それだけは本当に偉かったな」と成績表を渡される。

通算半年も出席しなかった私の欠席理由は「病欠」。

備考欄には「環境さえあれば優秀な生徒であったと確信している。それを大人が整えられなかったことが大変悔やまれ、憤りを禁じ得ない」と書かれてあった。

少年課の刑事からも「無力で申し訳ない」と謝られた。

家庭には恵まれなかったが、外の大人たちにはとても恵まれたと思う。もう何も返せないけど、この出会いがなかったら道を踏み外したかもしれない。

▼ 【16歳】高校退学

高校進学はしたものの、私立で何かとお金がかかり、一層バイトの日々。

母と祖母の関係は修復不可能なレベルで、2人が接触する度に刃物類を隠すのが常。

だんだん私の人生って何なんだろう、と思うように。その態度が気に入らなかったのか、また母に監禁されそうになり、慌てて家出する。

担任がかくまってくれたものの、両親と同居とはいえ異性の家に一泊したと学校で大問題になり、担任が解雇寸前になった。

「担任が責められるのはおかしい」と言ったら「あなたは黙ってなさい」と言われ、私のことなのに黙ってろだと!?と腹が立ち、じゃあ私が辞める、とその日で退学。

ここから、ホステス人生がスタートしました。

続きは執筆中、しばしお待ちください^^

 

最後に

▼ セッションをご検討の方へ猛毒注意報

私の半生を知ってなぜか勝手に「できなくても受容してくれる心優しい人」と私の人格を決め付け、そうでない面を見ると勝手に傷付いて、怒ったり病んだりする方がおります。

はっきり申し上げて、迷惑です。

あなたの依存心は、あなたの課題です。

私が自身の経験をここに記しているのは、同情や依存が目的ではありません。

ここを訪れてくださった方に、私という人間を知ってもらうため。

そして、「過去に何があろうと、自分が諦めなければ人生は変えられるよ」と知ってもらうためです。

都合よく解釈して、あなたの依存心に私の経歴を利用しないでください。

依存したいだけの人、分かってほしいだけの人、認めてほしいだけの人は、私の商品を買わないでください。

あなたの時間とお金が無駄になるだけなので、私に近づかないでください。

 

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