ホステスを辞めたいと思ったことはありますか?
こんにちは。ホステス専門コンサルタントの秋好玲那です。→目次はこちら^^
玲那さんは、売れた後、ホステスを辞めたいと思ったことはありますか?
実は最近、大切なお客様が亡くなりました。デビュー当時からかわいがってくださった方で、膵臓癌で発見からあっという間で・・・。
おかげさまで数字はいいのですが、心にぽっかり穴が空いたようです。
ドアが開くと、亡くなったお客様が立ってるんじゃないかという錯覚に陥って、仕事中にも関わらず悲しくなってしまいます。
「プロとしてどうなのか」と思う自分と、気持ちが追いつかない自分の板挟みで、引退を考える今日このごろです。何かお言葉いただけましたら嬉しいです。
ご質問ありがとうございます。あります。私も、ある人の死がきっかけだったので、お気持ちはとてもわかります。
今日は、私が唯一、ホステス人生を後悔した体験談です。
この記事の目次
人生を変えてくれた人との出会い
16歳で水商売に入った私にとって、ホステスという仕事は、ただの生活手段でした。
そこから約8年、水商売は大嫌いで、毎日仕事に行くのが苦痛でしかなく、だからといって「辞めたい」と思うほどの関心もありませんでした。
ただ生きるために働いて、屋根のある暮らしをするために続けて。
将来のことはおろか、明日のことも考えることなく、何のために生きてるのかも全然わからず、模索するほど生きることに熱意もなく。
表向きは明るく楽しそうに振る舞ってましたが、それもただ単に『そうしていないといろいろと詮索されるのが嫌だった』というだけ。
心の中で、いつも冷ややかな自分が自分を嘲笑っていました。そんなとき、自動車学校で『じじい』と出会いました。
水商売以外の世界をくれた人
じじいは、当時50代半ば。穏やかだけどノリがよくて、コミュニケーション能力も高く、自動車学校で一番人気の学科主任でした。
彼は、私を実の娘同様にかわいがってくれ、実際に家族の中に引き込んでくれました。
心配症のじじいからしょっちゅう電話がかかってくるのは本当にウザかったし、いつもお互いに毒づいてたけど(笑)
そういうことを、本当の親とできなかった私にとって、本当に良い体験をさせてもらいました。
家族を知らなかった私に、一家団欒の時間や親子関係を疑似体験させてくれた、唯一の父親的存在でした。
ホステスであることを心から悔いた日
しつこいくらい連絡してくるほど心配性なじじいですが、仕事のことは応援してくれていました。
24歳で私が一念発起してからは特に、私の邪魔になってはいけないからと連絡も控えるようになり。
ナンバーワンになったときは、家族全員でサプライズの夕食会を開いてくれ。
やがて、まだ学生だった子どもたちも末っ子が中学生になり、それぞれの世界ができて。
私も、多忙を極めるようになり、自然と連絡を取る間隔も開いていきました。
疎遠になったというより、私を含め、子どもたち全員が自立していくような感じでしょうか。
父、この世を去る。
ママになってしばらく経ったある日、仕事中にお母さん(じじいの奥さん)から、泣きながら電話がかかってきました。
「お父さんは、もうあと1週間ももたない。会いに来てやって」
末期の肝臓がんで入院していたらしく、「玲那にだけは知らせるな」と、きつく言われていたそうです。
翌日、すべての予定を変更して病院へ行き、約1年振りに再会しました。
末期がんと知らされていないじじいと、いつも通り毒づき合って、いつも通りに笑って、いつも通りにじじいの大好きなビートルズの話をして。
「またね」と別れて1時間後、末っ子から訃報が入りました。
『ホステスの仮面』が顔に張り付いて取れない
最後の最後まで、私はじじいの亡骸を見ることができず、火葬場へも行きませんでした。
それまでも、いろんな形で死を経験したけど、後にも先にも、こんなに悲しく受け入れがたいものはなかったです。
それでもお店に行かなければならない、休むことが許されない。
こんなときも、何事もなかったかのように笑って、お酒のお相手をしないといけないのか・・・。
そう思うと心が潰れそうで、さすがに「今日は笑えないな」と思いました。
でも、お客様が来た瞬間、本当に無意識に、いつも通り笑顔で「いらっしゃいませ」と言えたんですよね。その自分に、心の底からゾッとしました。
いろんな思いがぐるぐるする中、表向きはいつもと一寸変わらず仕事をこなす自分を、とても最低だなと思いました。
もう私には、この仕事は無理だ。
お客様と談笑しながら、どんどん心が凍っていくような感覚。初めて「もうホステスを辞めたい」と思った瞬間です。
「お客様の心に寄り添いたかったのに、心の痛みを感じられなくなった私には、もうホステスでいる資格はない。お客様の前には立てない」
と、本気で思いました。
『プロのホステス』って何だろう
父と慕った人の余命宣告、死、通夜、葬儀と、嵐のように過ぎ去った数日間。
あのときなぜ辞めなかったのか、今現在の私は当時の自分をどう思うか、率直に綴りたいと思います。
引退を留まるきっかけになったお客様の言葉
「もう引退しよう」と思った翌日は、偶然にも、私の進退を決める上で大きな存在の人との同伴が入っていました。
そのお客様に、じじいの存在や亡くなったこと、
「あんなに悲しかったはずなのに、笑えてしまった私は、なんて冷たいヤツなんだろう」
と落ち込んだ、ということを話すと、
ひとつひとつの言葉を選ぶように、ゆっくり語るお客様の言葉に、とても救われた気がしました。
そこで、思ったんです。「もし、引退するとしても、誰かのせいにしちゃいけないな」と。
もちろん、じじいのせいにするつもりはなかったけど、きっと生きていたら、彼は、自分のせいで私が引退したと自分を責め続けると思うんですよね。
大事に思っていたからこそ、その人を引退のきっかけにしちゃいけないなって思いました。
それに、もしもこのタイミングで引退していたら、それまでがんばった自分自身すらも、否定してしまったかもしれません。
プロのホステス=自分を押し殺すこと?
たまに、コンサルで、この話をすることがあります。そのたびに「プロですね」と褒めていただきますが、その言葉を素直に喜べない自分がいます。
あのときの私は、プロとして笑顔を作ったわけではないんです。むしろ、笑顔の仮面をかぶって、心を殺していた。
この経験のおかげで、今の私は、「お客様の前に出ると決めたなら、しっかり仕事をしなさい」とは言いますが、「休むな」とは言いません。
もし、あの日の私に休むことが許されていたら、翌日は本当の意味でちゃんと仕事ができたのではないか・・・と思うのですよね。
本当につらいときは、ちゃんと休んで、気持ちの整理がついたら、またがんばればいい。そう思います。
質問者様も、悲しむ時間を取れないまま、日常に追われてきたのだと思います。
でも、人は悲しむことで死を受け入れていくので、ちゃんと悲しまないといけない。
もし、状況が許すなら、数日でもいいので休暇を取って、その人との思い出を振り返りながら、ちゃんと悲しんでください。
引退するかどうかは、その後にもう一度考えればいいと思います。ただ、私の勝手な希望を言わせていただけるなら。
私は、あなたのようなホステスの存在を心から嬉しく誇りに思うので、今はつらいだろうけど、存分に悲しんだら、またがんばってほしい、と思っています。
ホステスの心得