才能とは何か、燃え尽きるとは何か。
「才能とは何か」
そう訊かれたら、あなたは何と答えるでしょうか。多くの人は「生まれ持った高い能力」のように捉えているのではないでしょうか。辞書にはこうあります。
物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。
この意味を踏まえると「私には才能がない」と嘆いている人は、物事を成し遂げる能力や素質がないと言っていることになります。本当にそうでしょうか?
結果を出すには、最低でも1万時間の努力が必要です。
あなたは1万時間努力したんでしょうか。その上で結果が出なかったのであれば、才能がないと言えるかもしれません。でもそれは「その分野の才能がない」だけですよね。そこで本記事では、
- 「才能」とは何なのか、天才と何が違うのか
- 「才能」を発揮できるとはどういうことか
- 情熱を持てていたはずなのに燃え尽きてしまう理由
について解説します。
「才能」とは何なのか、天才と何が違うのか
先述したように多くの人は「生まれ持った高い能力」のように捉えているようです。でもこれは才能ではなく「天才」です。
てん さい [0] 【天才】
生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主。
生まれつき備わっているものなので、遺伝子による影響が大きいでしょう。
たとえば文章能力などは、ある程度遺伝子によって決まってしまっています。どんなにがんばっても、遺伝子レベルで文章能力がない人は、芥川賞を受賞するような小説家にはなれません。
逆に、遺伝子レベルで文章能力が備わっている人は、深く考えなくてもある一定のクオリティで文章を書くことができます。子どものころから作文が得意、教わっていないことでも平均以上の文章が書ける、といった状態ですね。
これが「天才」です。
才能=生まれつきの素質ではない
一方「才能」は物事をうまく成し遂げる優れた能力、素質や能力とあります。努力でコントロールできない天才に比べて、才能は努力でコントロールできるものということです。
先述した文章の例で言うと、遺伝子レベルで文章能力がない人でも、物事を成し遂げる能力が優れていれば、クオリティを上げていくことは十分に可能、ということです。
残念ながら芥川賞作家にはなれないかもしれませんが、努力を重ねることさえできれば、文章で生計を立てることはできるでしょう。少なくともブロガーとして何かしら収入を得るレベルなら、何ら問題ありません。
逆に、遺伝子レベルで文章能力が備わっていたとしても、物事を成し遂げる能力がなければ、その能力は生かされないことになります。誰もが称賛する文章が書けても、探求心や習慣化ができないと、職業にはできません。
そしてこの習慣化や探求心は、誰にでも手にできるものです。あなたが天才ではなかったとしても。才能は誰にでもあり、それを発揮できるかどうかはあなた次第です。
「才能」を発揮できるとはどういうことか
ではどうしたら「才能」を発揮できるか。どうしたら1万時間の努力ができるのか。この答えは、とてもシンプルです。それだけの情熱を持てる分野を探す。ただそれだけです。もしもあなたが今の仕事で
- 1万時間の努力をできない
- 意志力ややる気に頼らないと動けない
ということであるなら、少なくとも今の仕事やポジションでは、情熱を持てないということです。ただそれだけのことですよ。意志が弱いとか、メンタルが弱いとかではないのです。
ただ、角度を変えただけで情熱を持てることはあります。
たとえば私は「ホステス」という仕事そのものに情熱は持てませんでした。売れないホステスさんから「玲那さんに才能があったからですよ」と言われることがあります。簡単に言われると、結構本気で腹が立ちます(笑)
でも「人と深い心の交流をすること」は、全身全霊の情熱を注ぐことができます。これを「ホステス」という仕事を通して体現していただけです。そして、現在も。
情熱を持てていたはずなのに燃え尽きてしまう理由
才能とは、情熱を持てる分野で発揮されます。でも不思議なことに、情熱を持てていたはずが燃え尽きることがあるのですよね。
たとえば学生時代夢中になったアイドル、ドハマリしたファッションなどを、何十年後も続けている人ってなかなかいませんよね。
このように多くの人は、どんなに情熱を持って取り組んでも、どこかで飽きるんです。そのとき、こう思うんですよ。
「もう十分やり切った。悔いはない」
情熱というガソリンで動いていたものが、情熱を持てなくなったことで鎮火していくのですね。これが、燃え尽きるということ。
つまり才能とは「燃えやすいもの」、情熱とは「ガソリン」。
2つ揃って初めて能力が開花するし、どちらかが切れれば火は消えるのです。
まとめ
- 才能とは成し遂げる力
- 才能は情熱を持てれば伸びる
- 才能と情熱で能力が開花する
先述したように、私は「人と深い心の交流をすること」に全身全霊の情熱を注ぐことができます。
ここに情熱があるからこそ、心理学を続けてこれました。ここに情熱があるからこそ、相談業務を続けてこれました。ここに情熱があるからこそ、支援活動を続けてこれました。
時にこの情熱が都合よく解釈され「何をしても許してくれる人」と捻じ曲げられることもありますが、今のところこの情熱は衰えていません。むしろ高まっているようにすら感じます。
でもいつか、情熱を持てなくなる日がくるかもしれません。そのときが、私の才能が枯れるときなのだと思います。
いつまで続くかは分かりませんが、才能が枯れるまでの間、できるだけ多くの人の人生が変わるお手伝いができれば。そんな気持ちでMind Tuningを運営しています。
ホステスの心得