「またね」は二度と来ない
こんにちは。ホステス専門コンサルタントの秋好玲那です。→目次はこちら^^
24歳のとき、お客様が自殺しました。私と会った直後に、会社で首を吊って。
「水商売を長年続けていたら、そんなこと一度や二度は起こる。いちいち悲しんでたら、身が持たない」
と言われることもありますが、私にとっては、これまでも、これからも、生涯忘れることはないであろう出来事です。
そのお客様(以下・Aさん)は、私に仕事を教えてくれた師匠の同僚で、とある大手ディーラーの支店長。
数字に伸び悩んでいて、上からも叩かれ、下からも不満を言われ、いつも板挟み状態でした。
人柄は、だれから見ても陽気でユーモアにあふれ、滅多なことでは弱音を吐かず、人の気持ちに敏感でとても優しい人。私も、Aさんが大好きでした。
「最後に会いたかった」
その夜、Aさんはいつもと変わらない様子で、お店にやってきました。
いつもどおり明るく、冗談を言って場を盛り上げ、とっても楽しそうに飲んでいました。その途中で、
「最後に玲那に会いたかったんだよ」
と言われたのですが、場のノリのような口調だったので、その瞬間は私も「ありがとー♪」とノリよく返したんです。
その言葉に深い意味があるなど、微塵も思いませんでした。そして、お見送りの際、改めてこう言われました。
「玲ちゃん、がんばれよ。応援してるから」
いつもと違う口調、いつもと違う表情、だったのかもしれません。とにかく、何かがとても心に引っかかりました。
『いままで、そんなこと言われたことないのに、どうしたんだろう・・・?』
何とも言いがたい胸騒ぎがしました。でも、私は、そのままAさんを帰してしまったんです。
「また飲みに来るよ!」
「うん、またねー!」
そう言って、お互いにいつもどおり笑顔で手を振ったこの日は、私にとって、悔やんでも悔やみきれない一日となりました。
「間に合わなかった」
Aさんを見送り、何とも知れないモヤモヤを抱えながら30分ほど過ぎたとき、師匠から電話がありました。
「Aが店に来てない?」
どんな様子だったか、何時ごろ帰ったか、などなど、聞かれるままに答えながら、どんどん胸騒ぎが大きくなっていきました。
「実は今日、県外に出張中なんだけど、夕方にAから『相談がある』って電話がかかってきたんだよ」
「『出張中なら明日でもいい』って言われたけど、そのときの様子がどうしても気になって、いま飲み会抜けてきた」
「いまから車飛ばして帰る」
そう言って、師匠は電話を切りました(師匠はAさんのことが気がかりで、お酒を飲んでいませんでした)。
師匠からの電話を切ったあと、自分の心臓の音が聞こえるくらい、動揺していたのを覚えています。
『私、もしかして、とんでもないことをしたんじゃないか・・・』
『Aさんにもしものことがあったら、どうしよう・・・』
ずっと、そんなことを考えていました。当然、仕事に身も入りません。このときほど、時間が長く感じたことはなかったです。1分が一生のように思えました。
幾度となく席を離れ、Aさんの携帯を鳴らすも、つながらず。黒服やママから何度も怒られましたが、それでも電話せずにはいられませんでした。
そして、3時間ほど過ぎたころでしょうか。師匠から電話があり、ただ一言、
「間に合わなかった」
と言われました。
「あなたは負けないで」
「葬儀、一緒に行くか?」
師匠から電話を受け、迷いに迷った結果、同行させてもらうことにしました。
葬儀場へ行くと、幼い子どもを抱いて、目を真っ赤に腫らして呆然としている奥様の姿が飛び込んできました。
「あのとき、私が引き留めていたら、奥様はこんな思いをせずに済んだのに」
と、罪悪感や申し訳なさでいたたまれず、早々に切り上げて帰ろうとしたとき、奥様が追いかけてきたんです。
「あの、玲那さんじゃないですか?」
面識のない私をご存じだったことに驚いたし、声をかけられたことにも驚きました。
「主人から、いつも聞いていました」
「『俺よりも何倍も苦労してるはずなのに、いつもニコニコしてる子がいる。その子と話すと、元気をもらう』と」
「あなたは、負けないでがんばって」
そう言って、奥様はハンカチを差し出してくださいました。その瞬間、私の脳内では、いろんな思いが駆けめぐりました。
Aさんは、どんな思いでこの奥様と幼子を置いてでも命を断つ選択をしたんだろう。
奥様は、どんな気持ちでAさんの訃報を受け取ったんだろう。
Aさんは、どうして奥様に相談できなかったんだろう。
どうして、最後に会いたいと選んだ人が奥様ではなく、私だったんだろう。
もし私があのとき引き留めていたら、この現実は起きなかったかもしれない。
わずかながらも違和感に気付いていたのに、心のどこかで「まさかね」と、自分の直感を追いやってしまった。
悪いことが起きるなんて想像もしたくなかったし、「またね」と言った言葉を信じたかった。
私が、私の直感をもっと信じられたら、Aさんは今も生きていたかもしれない。
・・・などなど。でも、結局私が奥様に言えた言葉は「ありがとうございます」だけでした。
「お客様をお返しすること」
その日以来、ずっと私は、
「私がお客様にできることは何だろう」
「私がすべきことは何だろう」
と考えていました。考えれば考えるほど、『もう二度と、Aさんのような人を出したくない』という思いが強くなっていったんです。
そこで、私がホステスとしてできることは、
- 今日がどんなにつらくても、「もう1日がんばってみようかな」と思えるくらい、心の荷を下ろしてもらうこと
- いい意味で「悩んでるのがバカバカしくなった」と思ってもらえるくらい、私が明るく自由でいること
- 必ず、お客様をご家族のもとへ無事にお返し(お帰し)すること
この3つだな、と思いました。そのために、私にできることは、なんでもしよう、と。
そういう私を嫌うお客様はいるかもしれないし、そういう私を笑うホステスもいるかもしれない。
でも、そんなことはどうでもよかったんです。
とにかく、もう誰にも自殺という選択を取ってほしくない。その選択肢しかないほど、追い込まれてほしくない。
・・・なんて書けば、とても美しく聞こえますが、実際には少し違います。そう思ったことは事実ですが、本当の本心は、こうです。
『もう、(私が)後悔をしたくない』
いま思えば、あのとき、私がAさんを引き留めたとしても、Aさんは最終的に自殺を選んだかもしれません。
私が殺したわけでもないし、私が死なせたわけでもない、これも事実。
だけど、私は『私が死なせてしまった』と感じました。なぜなら、私は自分ができることをやらなかったからです。
引き留めようと思えば、「もう少し飲んで行きなよ」と言えた。せめて、師匠が帰ってくるまで、時間を稼ぐこともできた。でも、なにもしなかった。
『何もせずに後悔するくらいなら、何かしたほうがずっとマシなのでは?』と思ったからです。
『心の交流』というコンセプトも、このAさんの死を受けて、打ち出しました。
もっとお客様の心に触れることができれば、小さなサインも見つけられるはず。もっとお客様の心に近づけたら、私の言葉が届くはず。
そうであってほしい、という願いも込めて。
いま、思うこと
あれから、20年が経ちました。現在の私は、こう思います。『やっぱり、何もしないよりは、できることを全力でやったほうがいい』。
全力でがんばっても、精一杯手を尽くしても、何かあったときには、「こうすればよかった、ああすればよかった」と後悔するんだな、と知りました。
だったら、やっぱり、やったほうがいい。
お客様と交わした「またね」は、二度とこないかもしれません。お客様と交わした約束は、二度と叶わないかもしれません。どんなに、笑顔で別れても。
だったら、「あのときの私には、あれが精一杯だった」と思えるくらい、できることをやったほうがいい。そう思います。
あなたにも、大切に思うお客様が1人や2人はいるのではないでしょうか。
今日のあなたは、大切なお客様に何かあっても「後悔は残るけど、私なりに、精一杯やった」と思えるでしょうか。
もし「思えない」のであれば、自分の仕事の姿勢をぜひ見直してみてください。あなたが、私と同じ後悔を経験せずにすむよう、切に願います。
ホステスの心得